河合さんがこんな言葉を口にされた。 「あなた、その研究を発表なさったらどうです」 「とんでもないです」 と私は驚いて首を横に振った 「研究といっても、まだ手をつけたばかりです。とても発表なんてできる段階ではありません」 ……
「あなたは完全主義なんでしょう」と河合さんは言った。「どこからつつかれても大丈夫というところまで全力をあげて準備し、それから「さあ、どうだ 」とやりたいんでしょう 「じつはそうなんです」……
「私など財界、政界で、やりたいことは全部やってきました。もう世間の毀誉褒貶には超然としている。そういう心境にならないとだめですよ」…… (河合氏は、厚生大臣の経験もあるからだ)
しかし、私も頑固である。いま、うっかりハイと言ってしまうと、取り返しのつかないことになるかもしれないという気持ちがあった。……
ところがである。 …… 「では丸山先生、あなたは学者である自分の立場しか考えてないことになりますね。それを利己主義というのです」 この言葉には完全にまいった。私はいつでも、「患者のために」と思って仕事をしてきたつもりなのだ。それを否定されては、医学者の私の立場はどこにもない。 「丸山先生、いまの段階でいいから発表しましょう。私とそれを約束しませんか?」 ついに私は折れた。 「じゃあ、近いうちに何とかします」 ……
私は河合さんとの約束をはたして、翌1966年(昭和41年)7月、……ワクチン療法に関する最初の論文を発表した。…… あとになって、私は何度河合さんに感謝したかしれない。というのは、その後、フランスのマテ教授もガンのBCG療法について発表されたが、河合さんのおかげで、私の論文はガンの免疫療法に関する最初のものとなりえたからである。
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